定規

建築に定規は不可欠です。 大工さんは曲尺(かねじゃく)もしくは指矩(さしがね)というL型の定規を使います。
さしがね術をまとめると分厚い本になる程で、大工さんたちはその伝わった知識と技術を日々用いています。
大工さんは曲尺をたくみに用いながら、柱や梁、土台となる材料に、しるしを付けてゆきます。
それぞれの部材をつなぎ合わせて組み立てる為の、仕口と呼ばれる部分の刻み(加工)をするためです。
大工が使う定規は、曲尺だけではありません。 間竿(けんざお)やレベル(水平器)、型板等あらゆる定規を使います。
それらの定規を正確に使うことは、作業を正確に無駄なく進めるのに必要不可欠な技術です。



古い日本建築(それが有名であるか否かに関係なく)には、それを建てた昔の建築家、大工の心が伝わってきます。
縦横高さの比、奥行き、色、構造には、力強さ、優しさ、知恵、知識、深い洞察、そして楽しさ、が伝わってきます。
今に残るそのような建築は、その時代の建築家、大工が、「定規」を用いながら、本当に発想力豊かで自由な作品を作ることを楽しんでいたことを伝えています。



人の心に、もしくは良心に「定規」は必要ないのだろうか?
「自分の思ったとおりに、感じるままに」生きることを安易に薦める書物、歌、論調があまりに多いけれども、それは本当に自由で豊かな生き方につながっているのだろうか?
哲学は、個人の生活、もしくはグループの行動にある程度の良い影響を与えるかもしれない。 
しかし本質的に、個人の良心が教えられ、訓練、強化、調整されなければ、より大きな圧力の下で何の働きもしないことを歴史は証言している。 
時代はますます、心、良心が試される時代に向かっている。 



個人の良心は時として、会社や社会の「良心」より上位にくるべきものであるとはいえ、会社員としてその良心の「定規」となるのは、会社の行動指針、また理念だ。
只松建設、パワーハウスの会社理念、行動指針は熟慮されたもので、それらは原則であり、仕事上のあらゆる場面で活用できる。
しかし行動で表そうとせず、毎日朝礼で唱和するだけであれば、単に良心を鈍感にならせるだけの時間にしているのかもしれない。
それらをどれほど日常の生活で、真の意味で理解し行動に表せるか、試されている。
 

その修業は厳しいものとはいえ、昔の建築家、大工が「定規」を巧みに用いながら、建築を楽しんだように、私たちも自分たちの仕事を「定規」を使いながら楽しめるに違いない。
MT