先日、日曜日の休みに、顔の産毛を、一枚刃かみそりで剃っていました。
そして鏡に映った自分を見て、ふと、「なんだか、久しぶりー」とつぶやいていました。
毎朝、着替える時や、その他折々に、自分の顔を見ているはずなのに、とても久しぶりに見たように錯覚したのです。
仕事や、仕事以外のするべきことをきちんとして、自分なりに規則正しくこなしていたつもりでしたが、よく考えてみると、日常のスケジュールに追われて、自分の顔もしっかり見ていなかった自分にびっくりしました。
なにより、「あれ、こんなに白髪多かったかな?」




私と妻は、時々東区に住むある友人の家に行きます。
2年ほど前ご主人を亡くされた、80代の方です。
私たちが伺うと、とても喜んでくださって、「どうぞどうぞあがってあがって」と、
家に招き入れてくださいます。
こじんまりとしたアパートに、一人で暮らしておられますが、部屋はいつもきちんと整理整頓してあり、なんともいえない心地よさが、その部屋には満ちています。
私達はいつも,花とか、果物とか、作った料理のおすそわけなどを持って行きますが、
帰りには、その小さな冷蔵庫のどこにこんなに入っているのだろう、と思う程、いろいろなお土産を持たせてくださいます。
でも、私達がその友人を訪ねずにいられないのは、もちろんそのお土産のためではありません。

それは、その友人の持つ宝です。
知識にさらに別の知識を、また知識に知恵や経験が加えられた話は、私達にとって、見飽きることのない宝の様で、時間が経つのを忘れてしまいます。
まるで、大きな宝の箱から次々に宝を取り出すかのように、惜しみなく私達に分けてくれます。
私達のその白髪の友人は、私達に取って、本当に大切な存在なのです。



「白髪は義の道に見いだされる時、美の冠である」



白髪であることが、必ずしも冠であるわけではありません。
むしろ、「義の道」に見いだされる時、白髪は美の冠になります。




私の白髪はどうだろうか。
これから、この白髪がもっと増えた時、それは美しい冠だろうか。
時間をどのように用い、何を取り入れ、何を考え、どう決定し、どう行動するのか。
真の意味で、「鏡」で自分をよく見ることが大切だと思いました。
MT